今回は読んだ本の感想です。
『センスは知識からはじまる』という本を読みました。
著者は熊本県のキャラクター「くまモン」アートディレクションなど数々のクリエイティブディレクションを行う水野学さんでの本です。
「くまモン」の他にも、有名企業のロゴやブランドのディレクション、広告のディレクションなどを手掛けている日本を代表するクリエイティブ・ディレクターです。
「センス」とは何か?
この本の中では、「センス」とは何かという話について書かれています。
本の著者である水野さんは日本を代表するデザイナーであり、その「センス」を羨ましがられるそうです。
そして、多くの場合「センス」は、天から予め与えられた才能であるかのように捉えられていて、天から落ちて来る稲妻のように「ひらめき」や「発想」が降りてきて、凡人にはなし得ない作品や仕事をするのだと思われていると語っています。
水野さんは、「センス」はそうしたものではなく、誰もが持っているもので、それを磨いているか、伸ばしているかで差が生まれるものだと考えているそうです。
「センス」の普遍性
「センス」は数値化することが難しく、受け取る側があの人はセンスが有る、センスが無いと言うように評価することも多く、曖昧な感じを受けます。
そのため絶対的な価値判断の基準には向いていないかもしれませんが、多くの人から「センス」があると認められる人がいることも確かです。
たとえば、去年に続いて今年もアメリカのメジャーリーグで大活躍した野球の大谷翔平選手や、かつて同じメジャーリーグで活躍したイチロー選手のように、誰が見ても「野球のセンスがある」と評価される場合もあれば、日本国内で活躍してメジャーリーグに挑戦したものの、結果が今ひとつ残せない選手もいます。
野球だけではなく、サッカーにおいても同様です。
国内のJリーグでは大活躍してサッカーのセンスを評価されていた選手が、海外リーグに挑戦したら成績が伸び悩むという事例も少なくありません。
海外のリーグの方がレベルが高く、日本のレベルがまだまだ高くないからだということで片付けられる場合もありますが、これは日本国内から海外に挑戦する場合だけではありません。レベルが高いとされる海外での実績が十分にある選手が日本でプレーしてみると、期待していたほどの成績が残せないというケースも数多くあります。
こうしてみると「センス」は、ある限られた条件でのみ通用するものと、別の場所に移っても通用するものとが有るようにも思われます。
「普通を知ること」の必要性
先に紹介した本で、著者の水野さんはまず「普通を知ること」が必要であると語っています。
これは足元ばかりを見るのではなく、顔を上げて周囲を見渡すことの重要性を説いているのではないかと感じました。
先に上げた例ですと、国内で活躍する選手にとっては国内リーグでの状況や対戦相手が「普通」であると考えがちですが、同じ野球やサッカーというルールの中でプレーするスポーツには、海外リーグの「普通」もまた存在します。
自分自身が立っている足元の「普通」だけを見て、「普通」を悟った気分になっていてはいけないということなのかもしれません。
本のタイトルである『センスは知識からはじまる』は、「センス」は天から選ばれた人のみが持つ才能ではなく、「知識」を意識して集めることで、自分の立ち位置を把握した上で、自分のもつ能力を磨くということから生まれてくるものということを端的に表しているのだと受け止めました。
まとめ
「センス」は生まれながらのものではなく、「知識」を集めて周囲の環境と自分自身の位置関係を蓄えることから始まり、現時点で足りないものを磨き、そこから「結果(アウトプットや成績)」が生まれます。
「結果」が残せた(好成績な)人は、誰もが認める実績を裏付けとして、他人が評価して「センス」がある、「センス」がないという文脈で語られているということなのかもしれません。
どんな職業の人もそうかも知れませんが、「あの人センスが良い」という評価を受ける人は、見えていないところで知識を集めて、自分に足りないもの、自分の特徴を把握して、結果を残す工夫や努力をされているというお話です。
読み始める前には「センス」という魔法に近い秘密の鍵やレシピが有るのかもと考えてしましましたが、成功に近道なしということですね。
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